鹿児島県

照国神社から街を見守る斉彬像レリーフの意味とは?2

【鹿児島市】
「明治日本の産業革命遺産九州・山口と関連地域」を県内外にPRすべく活動する学生組織『若手会』からのレポートの7回目。
今回は鹿児島市の繁華街「天文館」近くにある「照国神社」内で街を見守る様にそびえ立つ『島津斉彬像』についてのお話、2回目です。

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皆様、こんにちは、若手会の志學館大学3年浜田です。何度もこちらで紹介させていただいていますが、2015年7月5日に、「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産登録されました。これにともない鹿児島県の「旧集成館」、「寺山炭窯跡」、「関吉の疎水溝」が新しく世界遺産登録され、連日大賑わいでございます。これらの鹿児島の産業遺産のキーワードとなるのが、島津家28代当主島津斉彬がおこなった「集成館事業」です。今回は前回に引き続き島津斉彬が御祭神として、祭られている「照国神社」にある島津斉彬像の紹介をしようと思います。

大きな佇まいをみせる島津斉彬像。これをよく見てみると、正面、側面、背面に石の彫刻画であるレリーフが描かれています。前回は斉彬像からみて正面と右側のレリーフを紹介させていただきました。今回は残りの背面と左側のレリーフのお話をさせていただきます。
まずは、斉彬像からみて背面のレリーフです。ここにはいかりや、地球儀といったものが描かれています。いかりは、前回お話したとおり造船に力をいれていたことを表しています。薩摩藩は早くから大型船の建造の必要性を感じており、本格的な洋式軍艦「昇平丸」を建造しました。またその翌年、日本初の蒸気船「雲行丸」も建造しました。ここから薩摩藩がいかに造船に力をいれていたか、お分かりいただけると思います。
また、島津斉彬が幼い時に西洋に関心の深かった曽祖父の島津重豪の影響を受けて育ち、若いころから当時では、珍しく地球儀を所持していました。これは、その地球儀を表しています。ここから島津斉彬の西洋への関心が伺え、またこれが集成館事業につながったといえます。
最後に、斉彬像からみて左側のレリーフです。こちらは、見てのとおり農作物が多く描かれています。島津斉彬は、国を強くするだけでなく、人々が豊かに暮らせるような国にすることが、日本を守ることにつながるとかんがえていました。軍備のことだけでなく、人の和を大切にした素晴らしい藩主でした。
島津斉彬の死後も、彼の意思を引き継いだ人々により、日本を強く豊かな国づくりが進められていきます。今回世界遺産登録された「明治日本の産業革命遺産」がその証として、世界の人々に賞賛をあびています。是非、今年中にはどこか行ってみてください。

若手会は、引き続き明治日本の産業革命遺産の魅力を多くの方々に伝えていきます。今後とも宜しくお願いします。

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■照国神社
住所:鹿児島市照国町19-35
アクセス:市電 天文館電停下車徒歩5分
照国神社HP

※鹿児島の若者で作られる『若手会』では一緒に世界文化遺産を盛り立ててくれる仲間を募集中です。価値ある舞台で活躍してみたいと思う方は下記のページからお問い合わせ下さい。
若手会HP:http://wawakakatete.wix.com/wakate
若手会FBページ:https://www.facebook.com/k.wakatekai

関連ページ:照国神社から街を見守る斉彬像レリーフの意味とは?

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