東京都

め、面積が!? 『板橋区、拡大す』 東京都

※図版提供:板橋区公文書館

人知れず3月6日に板橋区の総面積が増えていた、というお話。

従来は32.17平方キロメートルだった板橋区の面積が、32.22平方キロメートルに増えた。たったの0.05平方キロメートル? と言うなかれ。この数字、単位を変えれば「5万平方メートル」なのである。正方形の土地なら一辺が約223メートルにあたるから、けっして狭くはないでしょう?

板橋区内には全部で134の「町丁目」があるが、5万平方メートルを超える「町丁目」はわずかに4つしかない。つまり、(板橋区にしては)かなり広めの町がひとつ増えた、と言える面積なのだ。

おっと、板橋区民の方、「よっしゃ」とガッツポーズを取るのはちょっと待ってね。
たしかに面積は増えた。これは事実。でも土地が広くなったわけじゃないんですよ。そのカラクリは以下のとおり。

「国土地理院による面積値の計測方法が、昭和63年度時点の2万5千分の1地形図を基に算定する方法から、計測の基礎となる地図をより高精度な『電子国土基本図』に変更したため」(板橋区広報)。

要するに「ようやく正確な面積がわかった」ということでした。
ぬか喜びさせやがって? いいじゃん、32.22平方キロメートルって覚えやすいし。

■板橋区の「土地」に関するふたつのトリビア

と、ここで終わると肩透かし感を残してしまいそうなので、トリビアをふたつ。

トリビアその1 「練馬区は板橋区の一部だった」

東京23区に最後に加わったのが、板橋区のおとなりの練馬区だ。練馬区の面積は広く、23区中で第5位。かたや板橋区は9位である。
ところがこの練馬区、1947(昭和22)年までは板橋区の一部だったのだ。5位と9位が合体していたのだから、当時の板橋区の面積は23区中で断トツだった。巨大区、板橋。
練馬区を分割した理由はいろいろあるが、手短に言うと「広すぎたから」のようだ。そんな理由で自分よりも大きな区を分割しちゃう板橋区って、いい人(人じゃないけど)っぽくない?

▲練馬区分割以前の『板橋區全圖』(※図版提供:板橋区公文書館)

練馬区の誕生後、板橋区の面積はこの地図の40%になったとさ。

トリビアその2 「埼玉県から板橋区に編入した町がある」

こちらは練馬区分割の3年後、1950(昭和25)年の話。
それまで『埼玉県北足立郡戸田町(現在の戸田市)大字上戸田』だった土地の一部が、『東京都板橋区舟渡三丁目(現在の四丁目)』として移譲されたのだ。その面積はおよそ0.2平方キロメートル(20万平方メートル)と、ずいぶん広い。

▲埼玉県から板橋区に移譲された部分(※写真提供:板橋区公文書館)

写真中のふたつの川は左(南)が新河岸川、右(北)の太いのが荒川だ。

この地域が埼玉県から板橋区に移譲された経緯をざっくり説明しよう。
かつての境界は荒川だった。蛇行している箇所の多い荒川は、しばしば氾濫による水害の原因となっていて、川をまっすぐにする工事が実施された。結果、「荒川そのもの」が北に移動する。そのときに「板橋区のなかの埼玉県」のような不自然な形で取り残された土地があり、その地域を板橋区に移譲したのが現在の『舟渡四丁目(の一部)』なのである。

▲新河岸川

左(北)側が現在は板橋区、かつては埼玉県だった土地。

▲工場が目立つ舟渡四丁目

最寄り駅は都営地下鉄三田線の『西台』駅

奇しくもこの移譲によって板橋区の面積が(名実ともに)広くなったのは、1950(昭和25)年の4月1日。このトピックの公開日からぴったり65年まえの今日のことだった。
調べてみれば土地に歴史あり。と、強引にオチをつけてみました。

【■033 取材日:2015.3.20】

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