滝と水車の里
緒方町の市道(旧緒方高千穂線)に沿う緒方上井路では、4月29日(金)、底に溜まった泥や落ち葉の除去作業が行われ、田植への準備が整いました。この3月に新調された水車も、美しくなった流れに身を任せながら、絶えず水を汲んでいます。この水車はサイフォンの原理で田んぼに水を供給する「サイフォン式水車」で、古くから「米どころ」と称されてきた緒方町ならではの景観、シンボルといえます。
この場所に水車が誕生したのは、緒方井路土地改良区の水車台帳によると昭和36年とあります。水田揚水を目的とし、主材料は木製ではなく鋼(はがね)で作られていました。若かりし頃、通りすがりに目にしていた黒みを帯びた姿は、今も記憶の中にあります。
1985年(昭和30年)、当時、県が進めていた「過疎地域ふれあい推進モデル事業」に当町の計画が採択されたことを機に、原尻の滝周辺の整備に着手しました。人々が触れ合える交流の場づくりを目指す「滝と水車の里」づくり事業です。そのシンボルとして草葺き屋根のふれあい茶屋と直径6mの木製大輪水車を設置しました。
「滝と水車の里づくり」事業では、同時に、緒方上井路にかつてあった場所での木製水車の復元や現存するサイフォン式水車の鋼製から木製への切り替えも行われました。あれから30数年が過ぎ、緒方上井路では何基かの水車は役目を終え、姿を消しました。ただ、木製が故に老朽化したもののサイフォン式水車は、引き続き水田揚水の役目を全うすべく、この3月、前あったと同様の総ヒノキで蘇ったのです。
▲2022年3月15日撮影
サイフォン式水車
サイフォン式水車は、十二枚の羽根(板)で構成され、羽根には、一枚おきに木升が取り付けられています。回りながら、升が、流れる水路の水をすくいます。
▲2022年3月15日撮影
升が運んだ水は、横に沿う長い樋(とい)に流れ落ちます。樋を流れる水は、その先の石積みの煙突状の筒の中に流れ込みます。
▲2022年3月15日撮影
筒の中に流れ込んだ水は、自らの圧で、水路よりも高い位置にある田んぼへ、水を押し出すように運ぶのです。
石積みの筒の高さは(地面から)118㎝ですから、それ以内の高さに位置する田んぼならば水を送り込むことができるのです。これぞサイフォン式のなせる技、というわけですね。
▲2022年3月15日撮影
緒方井路と千盆搗き
ところで、こうした緒方井路が当地に誕生したのは江戸時代と言われています。岡山藩の儒学者熊沢蕃山の指導を受けて開削されたとも・・・。その卓越した指導のお陰か、その流れは1㎞で1m下るという「千分の一の勾配」となっています。静かにゆったりと流れる様子は、工事に汗した当時の方々の、水への思い、米作りへの情熱を今に伝えているかのよう。江戸の時代の卓越した技術力には、ただただ敬服するばかりです。
因みにセメントが誕生(製造に成功)したのは1875年(明治8年)だそう。その後、日本で行われた初の鉄筋コンクリート工事が行われることになりますが、それは1903年(明治36年)の琵琶湖疎水の橋だったそうです。それから当地に鉄筋コンクリートが普及するまでの長き、人力に頼るしか術がなかった井路の修繕や補修作業のきつさは、さぞかし骨身に応えたことでしょう。
その様子は、緒方町の昭和45年に結成された「千盆搗き保存会」の皆さんによって今も伝えられています。苦役からくる苦痛を和らげるため、当時の人々は歌(木遣り唄)にあわせ、踊るように舞うように鍬を振り上げては振り下ろし、を繰り返していたようです。
▲2009年8月9日撮影
その様子は、故・後藤絹さんが残してくれた紙粘土の世界でも克明に知ることが出来ます。鍬を持つ人、足で土を練る人と、躍動感にあふれています。
▲2008年8月4日撮影
▲2008年8月4日撮影
この先も、大切にしたい絹さん人形、後藤絹さんの紙粘土人形です。
美しい日本の村景観百選
井路の開削によって当地の米作りが支えられてきたわけですが、おかげで当地は、「岡藩の米櫃(びつ)」とまで称されたといいます。さらに「水枯れを知らない町」としての名声をも博すことができたのです。
そして1991年(平成3年)、緒方川沿いに広がる平野部一帯(上自在地区)が、農水省の「美しい日本の村景観百選(農村景観日本百選)」に選定されました。その際の調査票には、緒方上井路や木製水車についても心を込めて書き連ねましたが、「緒方井路は先人の英知を讃えるかのごとく家並みをぬいながら人々の生活に潤いのある水辺環境を提供している」として”家並みと清水と水車の風景”を景観テーマとして選定されたのです。なお、大分県からの選定は、緒方町だけでした。
市道に沿って流れる緒方井路には、そこに住む人々の暮らしを支える数々の石橋が架けられています。
その後、滝周辺整備を礎に緒方町では、西日本地域交流大会での「高速道路だけでなく、一般道にもパークスポットを」との提案に端をなして広がりつつあった「道の駅」の設置を目ざしました。念願叶い1994年(平成6年)の8月4日、大分県で第一号となる「道の駅」が誕生。道の駅「原尻の滝」として国交省の登録、認可を受けるに至ったのです。
▲道の駅「滝の館」が現在地に移転新築されるまでは、奥の左手「ふれあい茶屋」と右手の初代「滝の館」が核となっていました。(2011年4月10日撮影)
大分県に2か所の「円形分水」
田植の準備が始まる中、何事も無かったように今年も目にする静かな流れ。これこそが、変わることなく愛し続けたい緒方町ならではの風景で、心の帰る場所といっても過言じゃないな、と思えて来ました。これまでの先人たちの優れた英知と流してきた汗の重さに、あらためて感謝と畏敬の念を抱かずにはいられません。
ところでサイフォン式といえば、この他にも。川から引いた水を、田んぼの面積に応じて公平に分配する「円形分水」です。県内には2か所しかなく、それが緒方町小原の「烏嶽円形分水」(画像は2009.5.22撮影)と竹田市九重野の「音無井路円形分水」(画像は2016.8.9撮影)です。
一旦地中へと潜り込んだ水が、サイフォンの力で円形の中央部にボコボコと湧きあがる様は力強く、訪れる度、これぞ愛しきパワースポットだ、とさえ思えてきます。
▲緒方町小原の「烏嶽円形分水」。長谷尾井路土地改良区が管理しており、昭和11年に完成し昭和13年に通水が開始されたと・・・。(2009年5月22日撮影)
▲通水が始まる田植シーズンを前には、毎年の清掃が行われる烏嶽円形分水。真中から吹き上がった水は、コンクリートの柵の合間から出て、画像左右に分かれていきます。流れゆく水量は、左右二手の先の地区の水田面積に応じていて、それを割り振るのは、柵の合間の数なのです。故に配分される水の量は、水田面積に比例していて公平、公正なのです。
▲昭和9年に完成した竹田市九重野の「音無井路円形分水」。受益面積に応じて、壁面の窓の数で水の量が配分される仕組みとなっています。
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