□ マンス氏、時計の秘密を語る□
東京都板橋区上板橋の『居酒屋 花門』(以下『花門』)を紹介する。
サービス大魔神にして明るくダジャレを飛ばすイラン人マスター、マンスール・コルドバッチェさん(以下マンスさん)の知られざる真実に迫る。
■針なし時計が指す時間
『花門』のカウンターまわりには20個ちかい壁時計が並んでいる。よく見ると、そのどれにも針がない。長針も、短針も。
「お客さんに聞かれたら『ほっとけい』と答えるんですよ。『時間を忘れて飲んでほしい』と言うときもあるし、『代わりにお腹にハリがあるよ』と答えたりね」(マンスさん)。
ダジャレマスターの面目躍如だ。しかしお話を聞くうちに、時計の見えない針が深い想いを示しているとわかってきた。
マンスさんは居酒屋のマスターであるのと同時に、日展に何度も入賞し、『国際美術大賞展』では内閣総理大臣賞に輝いたほどの洋画家でもある。
それは2010年のこと。福島県で『洋画家・マンスール』さんの個展が開催された。
▲『マンスール コルドバッチェ展』案内ハガキより
会場は福島県双葉郡川内村の『ひとの駅かわうち』。廃校となった小学校を活用した施設だ。山間地域活性化プロジェクト、つまり村おこしの一環として、マンスさんの個展が4ヵ月にわたって開かれた。展示された絵の何枚かは、会期の終了後も旧小学校の壁面を飾り続けることになる。
▲『姉妹』 2007年 第39回日展
翌2011年、3月11日の午後2時46分。川内村は東日本大震災の直撃を受け、住民は避難を余儀なくされた。会場の元小学校を残したまま。
「川内村を忘れないために、川内村を応援するために」。マンスさんは店のすべての時計を2時46分に合わせ、電池を抜いた。
カレンダーを何枚かめくったある夜。初老のお客さんがカウンター席に座った。その男性は料理とお酒を楽しんでいたが、時計の針に気づくと言葉が止まり、涙を流し始めた。「あの津波で、息子が」。
「いけない。楽しくなるための店で、忘れたいことを思い出させてしまった」。朝までかけてマンスさんはすべての時計を分解し、すべての針を取り除く。「2時46分は、自分の心の中にあればいいね」。
しばらく経って、そのお客さんがまた来てくれた。カウンターの上に並ぶ時計をこわごわと見る。今度は、笑顔でマンスさんに言う。「ボトルを入れてください。焼酎と芋焼酎と麦焼酎を1本ずつ」。
驚くマンスさん。「いまはどれを開けますか」
「ビールを。ぼくは焼酎を飲まないので」
「焼酎は?」
「友達と来たときに飲んでもらおうと思ってね」
ないはずの針が動き出した。
▲『姉妹』 2013年 第45回日展
■『花門』に常連はいない
マンスさんの人柄と料理に惹かれて、『花門』に足繁く通うお客さんたちがいる。しかし、マンスさんは彼らのことを「常連」とは思っていない。あくまで「よく来てくれるお客さん」なのだと語る。「常連さんで、怖い思いをしたことがあります」。
『花門』の近所に、毎夜常連で賑わう居酒屋があった。「すこしうらやましかった」とマンスさん。ある日、その店の常連客たちが『花門』にやって来た。グループの中のひとりが『いつもの店』のマスターと仲違いしたらしい。翌日も彼らはやって来た。さらにまた次の日も。新しいホームグラウンドとして『花門』に白羽の矢が立ったのだ。
ところが4日目、マンスさんは入店を断ってしまう。「あの店のマスター、きっと困ってます。戻ってあげてください」。マンスさんの気持ちが伝わったのだろう。翌日、その店のマスターが菓子折りを持って訪れたそうだ。
それ以来、マンスさんは「常連」が怖くなってしまった。「うちも、いつああなるかわからない」。「それに、常連さんがいると、他のお客さんとの間に壁ができます。新しいお客さんが常連さんに気をつかいます」。
マンスさんは『常連』という言葉をつかうことをやめ、「同じお客さんでも、毎日新しい気持ちで迎えるように」考えを改めたという。
▲座敷の壁はミュージアム
「私も絵を描いたよ」と近所の子どもたちがマンスさんの似顔絵を持ってきてくれるそうだ。
▲マンスさんと奥さんのきよみさん。Tシャツの胸に『かわうち』
▲『アド街』対策でお皿を急募。すぐに集まった
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『居酒屋 花門』
公式ブログ『花門にカモン!』は → こちら
住所:東京都板橋区上板橋3-6-7
グーグルマップ → こちらの m(小文字)
最寄り駅:東武東上線『上板橋』駅 北出口から約400メートル 徒歩約5分
電話:03-3935-9222
営業時間:18時から25時
定休日:火曜日 祝日
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(※価格はすべて税込みです)
【■044 取材日:2015.5.3、5.7】
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